憧れだったじいちゃん
2008年1月18日 大塚秀毅 | この記事のページ | コメント(0) | トラックバック(0)
じいちゃんが昨日、亡くなった。正確には16日から17日に日付が変わった頃らしい。
死後硬直から判断して。
オレはそれを知らずに練習取材をしていた。
昨日の夕刻まで誰も気が付かなかった。
本当に寝ているようにしか見えなかったからだろう。
「最後は苦しまずに、安らかにいったんだよ」
目を真っ赤に晴らした母が言っていた。
オレはじいちゃんの前から動けなかった。
ずっと首を振り続けていた。
信じられないし、信じたくなかったから。
「じいちゃん、勝手言うけど最後まで暴れてくれればよかったのに」と語りかけた。
破天荒な人生を生きてきたのだから。
「最後はあまりにも静か過ぎだよ」と言ってやった。
脱サラして肉屋を起こして、大病にかかって克服して、今度は工務店を立ち上げた。
亡くなった日もルーティーンである家の周りで細かな作業をしていたらしい。
ばあちゃんがえりっ首を触り、冷たいから「家に入りな」と言ったが、頑固だからきかなかったという。
「だからいっちまったんだよ」と憎まれ口を叩いたばあちゃんの瞳も濡れていた。
じいちゃんが眠っている部屋にオレはなかなか入ることができなかった。
現実を受け止めるのが怖かったから。
連絡を受けてからも、放心状態で無理してバイトを続けた。
行きたくなかったからだ。
創意工夫をして自らの道を切り開いたじいちゃん。
オレはじいちゃんの職人気質にひどく憧れていた。
じいちゃんは中途半端な、やくざな生き方を否定せず、むしろ応援してくれていた。
じいちゃんの枕元には最終戦のマッチデーコラムが置かれていた。
しっかり読んでいてくれていたのだ。
ありがとう。
同じ職人として少しは認めてくれたのかな?
もっと戦争体験も、人生訓もたくさん聞いてあげればよかったと今更ながらに思う。
オレは小さい頃、じいちゃんが大嫌いだった。
オレではなくオレの親戚の子ばかりをひざの上に乗せていたからだ。
いつも鋭い目線で睨まれていたような記憶しかない。
可愛がってもらえてなかった。
これは思い過ごしなのだろうけれども。
警戒心が薄れたのは小学生にあがってから。
陸上でそれなりの成績を残すようになるとじいちゃんは自分のことのように喜んでくれた。
あれは本当に嬉しかった。
賞賛の言葉なんかなくてもね。
伝わったよ。
親族の中で唯一、大学に進学した時も目を細めていた。
「お前は野心がない。もっと野心をもって生きなさい」
入学祝にそんな大切な言葉をもらった。
じいちゃんが亡くなったのは昔、オレの家族が数年間暮らした離れだった。
思い出がいっぱい染み込んだ場所。
そこで最期を迎えたのだ。
だからだろうか。
涙が溢れて止まらなかった。
生き方は不器用だったけれども、心通わせた人には愛されまくったじいちゃん。
正確な死亡理由は不明だ。
解剖をしないと分からないから。
切り刻むのを母をはじめとしても誰も望まなかった。
オレもそれがいいと思う。
寿命だったんだよ、きっと。
じいちゃんの肉体はこの世になくとも、オレの背中の少し後ろにはいつもじいいちゃんが居てくれる。
そんな風に思いながらオレは頑張るよ、じいちゃん。
あっちで寂しがらないように、退屈しないように少ないけれどもオレの作品を棺に入れさせてね。
今度もちゃんと読んでくれるかな?
じいちゃん。
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