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『最後の手段』@栃木SC通信

2008年11月17日 大塚秀毅 | | コメント(0) | トラックバック(0)

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艱難辛苦の末にようやく手に入れた「J2昇格」へのチケット。だが、昇格条件のひとつである「年間総合順位4位以内」を確定するまでの道程は、決して平坦なものではなかった。

ホーム全勝、勝点83の獲得、優勝。次々に掲げた目標は消滅するも、4位圏内は辛うじてキープし続けた。前半戦の貯金に救われたカタチとなった。開幕から5連勝と好スタートを切ったその序盤戦を、柱谷幸一監督は「予想外」だったという。大幅な血の入れ替えを敢行して迎えた今季。勝ったり、負けたり、引き分けたりする中でチームが成長する姿をイメージしていたが、予想に反して波に乗った栃木SCは僅差のゲームを粘り強く勝ち切る。前期を首位で折り返した。このまま上手く事が運ぶわけがない。案の定、とてつもなく大きな落とし穴が口を開けて待っていた。破竹の勢いで勝点を積み上げてきたチームは、後期に入り躓き、9試合も勝利から遠ざかる。急激な失速に不安と不満の声が漏れ聞こえ始めた。

「一番、きつかった」(柱谷監督)

2―3と4連敗を喫することになったアウェーのSAGAWA SHIGA FC戦を、最も苦しい時期だったと話す。

連敗の入り口となった横河武蔵野FCには堅守速攻のプランに見事にはめこまれた。HondaFCのアタッキングサッカーに涙を飲み、リーグ戦初の連敗。自信回復を図れる期間を与えられて臨んだ対カターレ富山戦では昇格への執念で凌駕され、屈した。リーグ戦再開へ向けた猶予は約1か月。御殿場でミニキャンプを行い、4―2―3―1の新機軸を打ち出した。展開力を上げるために佐藤悠介をボランチに配し、高安亮介が負傷離脱したことで損なわれたスピードを左サイドに稲葉久人を据えることで補填しようとした。万全の準備で挑んだはずだったが新システムは機能性に乏しく、結果は付随しなかった。袋小路に迷い込んだ。

長丁場のリーグ戦では必ず落ち込む時期があることは承知していた。選手、スタッフ、フロントにも、リーグ戦の困難さを説いた。「耐えていれば波は来る」と信じて疑わなかった。一方で、何か手を打たなければ悪しき事態は改善されない、とも思っていた。

幸いにもトライする、手を加える機会が巡ってくる。リーグ戦の合間に挟まれていた天皇杯3回戦、対ロアッソ熊本戦から3―5―2を導入した。急ごしらえのシステムは、しかし望外の効果を発揮する。PK決着だったが勝利を得ることもできた。シーズン前の千葉キャンプから取り組んできた4―4―2を捨て去り、3バックへ切り替える決断を下した当時の心境を柱谷監督はこう振り返る。

「自分の中でも勇気が必要だった。やっていないことをやったので。最後の手段だった」

4―4―2のゾーンで受け渡す守り方は、密なコミュニケーションと迅速な判断力が要求される。肝心な要素に欠けていると見て取った柱谷監督は、ついに英断を下した。守備の安定を求めるために2トップに対して3人で守る、数的優位を保持し続けることを選択した。守備力向上の代償に攻撃力低下を招き、リーグ戦では3連続ドローと勝ち切れなかったものの、山崎透を中心とした最終ラインの安定感は試合を重ねる毎に増した。課題だったゴールを奪う作業は、開幕以降、眠っていた松田正俊の覚醒により解消された。下位の三菱水島FC、アルテ高崎が相手だったとはいえ、2試合で9ゴール(3―0。6―1)は上出来だった。

「負けたことを人のせいにするな。ボクも含めて選手、スタッフには『自分ができることをやることで乗り越えていこう』と話した」

選手は責任の所在がより鮮明化する3バックに短期間で適応した。戦術理解度を高めたのは的確なアドバイスを選手に伝えたコーチ陣。怪我や累積警告により出場機会が回ってきた控えの選手が、主力と遜色ないプレーが出来るようにサポートも怠らなかった。田村仁崇、入江利和の台頭が好例だろう。そして、指揮官は配置転換、数度のシステム変更など思考を巡らし、勝機を手繰れる術を探り続け、最終的に個の特長を引き出せる3バックへと行きつく(高崎戦は4バックだったが、3トップに対して一人を余らせる考え方は一緒)。柔軟な発想が奏功した。

負けが込んだ時期にも下を向くことなく、ポジティブに現状を捉えた結果として、最低限の目標であった4位以内を決めることができた。

個々が役割を全うすることが、結局はチーム力に繋がった。  

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